|
11日の朝に、今回は羽田空港から北京に向かいます。
飛行機は順調に飛び、お昼前には首都空港に到着。
休む暇もなく、地下鉄を乗り継いで北京南駅まで行き、新幹線で一路天津へ。
もう、何度と無く通った道です。何の迷いもなし。
この一年間、よくもまぁ通ったもんだ、と感心してみたり。
天津駅について、タクシー乗り場へ。
いつもの長い行列をまって、タクシーに乗り、ホテルまでの地図を運転手に見せます。
いつもの様に、運転手が聞いてきます。
「你是韩国人吗?」
「不是!我是日本人!!」
いつもと違うのは、聞き慣れない言葉を聞いてきます。
「ディーツェン?ディーツェン?」
と、聞こえてきます。
何言ってるのか分からないので、
「いいから、ホテルへ行ってくれ!」
ようやくホテルに着いて、一息ついて、Skypeで会社に連絡してみると、
「日本が、大変な事になっていますっ!」
初めて、地震の事を知りました。
iPhoneでYahooを覗くと、震源地は仙台沖、M8クラス
それでも、それほど大変ではないだろうと、タカをくくってました。
ホテルのテレビを付けてみると、CCTVのニュースでイキなり現地の映像が。
津波の様子、石油タンクの炎上、燃え盛る街。
リアルタイムに映像が流れっぱなしです。
ビックリしました。
どうしよう、帰るべきか?
今の所、会社や家族には被害が無い事は分かりました。
すぐに帰っても、どうする事も出来ないので、スケジュール通りに日程をこなす事にしました。
中国にいて、情報が伝わらない事を心配しましたが、
毎日テレビでトップニュースで伝わりますし、Skypeやメールで会社やお客さんとの連絡もつき、
逆にデマなどが入らない分だけ、日本にいるより、的確に情報をつかむ事が出来ていたかもしれません。
何よりも、心に響いたのは、中国人の優しさでした。
何度も来てますので、中国人の取引先の友人知人がいますが、みんなから、メールをもらいました。
今回、寧波に行って、初めて会う中国人の関係者からも、
「地震は大丈夫か?お前の家は大丈夫か?家族は大丈夫か?」
と、心配してもらい、優しい言葉をかけてもらいました。
そして、驚いた事に、
出会ったというか、会った人、
ホテルのフロント、タクシーの運転手、便利店の店員さん、
私が日本人だと分かると、
「大丈夫か?家族は無事か?大変ですね、お悔やみ申します。」
的な言葉を、ほぼ100%の人々から貰った事です。
いち早く中国の災害援助隊が日本に出発したのも現地のテレビで知りました。
yahooの記事で世界中から励ましのメッセージや、義援金の寄付が寄せられてる事も知りました。
でも、北京や天津、寧波の街角で見ず知らずの人たちが、日本の事を心配してくれて、私にねぎらいやいたわりの言葉をかけてくれる、
その事に、人として、えらく感動しました。
そんな彼らに対して、私は胸を張って答えました。
「ありがとう、でも、日本人は、負けませんよ。」
そして、
いつもとは違った勇気を中国からもらって日本へ帰ってきました。
「よぉ〜し、ニッポンよ、俺が帰ったからにはもう安心だっ!」
※
早速、今日被災地の近く、茨城県まで災害復旧の準備調査で行ってきました。
いろんな人がいろんな事で苦労されています。
帰りの高速道路で消防車、救急車の大軍団が関東方面に向かって走って行くのを目撃しました。
新潟の消防が被災地に向けて出発したのでしょう。
ならば新潟は消防車が手薄な訳ですから、決して迷惑をかけない様、家に帰ってから、家族に火の用心を徹底する様言い聞かせました。
|