
“了解” liǎojiě 、“理解”lǐjiě(芳沢ひろ子) ~ 【相原茂:監修】 「どうちがう?似たものことば」(50)

似ているけど、使い方はどう違うの?」中国語の専門家達が類義語に関する話をわかりやすく
解説しています。相原茂先生監修のコラムです!
目 次
●第50回
いずれも「わかる」という意味を持つ動詞だが、“了解”は「わかる」度合が浅く、その対象の
表層部分が「わかる」。表層部分について「知っている」ということ。一方“理解”は「わかる」
度合が深く、対象の表層より深いところが「わかる」。深い部分、本質的な部分を「理解し
ている」ということ。
1)我想了解(×理解)一下这个公司的情况。
Wǒ xiǎng liǎojiě(×lǐjiě) yíxià zhège gōngsī de qíngkuàng.
(この会社の状況について知りたい)
2)我能理解(×了解)她现在的心情。
Wǒ néng lǐjiě (×liǎojiě)tā xiànzài de xīnqíng.
(彼女の今の気持ちはよくわかる)
“了解”が「わかる」対象というのはたとえば1)であるならば、この会社の規模や経営状態
や経営者についてなど、いわば情報、すなわち相手の状況に関する知識である。これに
対して“理解”が「わかる」対象は、2)でいうなら彼女の心の中、心情、気持ちである。
彼女がどういう名前でどういう仕事をしていてどういう人間関係を持っているかなど情報面
ではない。
3)老师应该了解(○理解)学生的想法。
Lǎoshī yīnggāi liǎojiě (○lǐjiě)xuésheng de xiǎngfǎ.
(教師は学生の考え方を知っていなければならない)
ここは “了解” “理解”どちらも使えるがニュアンスが異なる。“了解”なら「学生の考え方と
は一般にどういうものなのか、学生はおおよそどんな考え方をするものなのかなどについて
知っている」という意味になり、“理解”なら「学生の考え方について,何故そういう考え方を
するか等,深くわかっている」という意味になる。ここでも“了解”は事の表層における情報面
について知っている、知識があるということであり、“理解”は対象の表面ではない、より深い
部分がわかるということである。
“理解”は対象の表層より深い部分、本質的なといってもよい部分が「わかる」ということな
ので、そこから「同情する」「共鳴する」という意味を持つこともある。③の文でも“理解”を
用いるならそうしたニュアンスを伴う。
4)我们都能理解(×了解)你的苦衷。
Wǒmen dōu néng lǐjiě(×liǎojiě) nǐ de kǔzhōng.
(あなたの辛さは私たち皆よくわかっています)
5)我完全能理解(×了解)当时你采取的行动。
Wǒ wánquán néng lǐjiě(×liǎojiě) dāngshí nǐ cǎiqǔ de xíngdòng.
(当時あなたが取った行動について私は本当によくわかります)
上記4)5)の例文には単なる「理解」を超えた同情や共鳴の響きがある。こうした文に“了解”
は使えない。
上記のような意味の違いから“了解”“理解”それぞれが「わかる」対象も異なってくる。“了解”
は性格、特徴、ニーズ、状況、プロセス、原因、病状、国情、歴史、真相など、事の情報に
関わることに用いられる。“理解”は道理や概念など抽象的なことがらや心情、要求、意志、
立場など人の精神や境遇などに用いられる。
また“了解”は“经常~”“普遍~”“~清楚”“~一下”などとともに使うことができるが、これら
は“理解”と使われることはない。
“理解”は“深刻~”“正确~”“~不了”“~错了”などとともに使うことができるが、これらは
“了解”と使われることはない。
では以下の問題をやってみよう。空欄に入るのは“理解”か“了解”か?或いは両方入れるこ
とができるだろうか?
6)他们在一起生活了五年,彼此之间非常( )。
Tāmen zài yīqǐ shēnghuóle wǔ nián,bǐcǐ zhījiān fēicháng ( ).
彼らはともに暮らして五年経ち、お互い相手がよくわかっている。
7)这步棋他为什么这么走,别人说好,可我不能 ( )。
Zhè bù qí tā wèishénme zhème zǒu,biérén shuō hǎo,kě wǒ bù néng ( )
この一手を彼はなんでこう指すのか、好いと言う人もいるが私には理解できない。
(答え)
6)の正解は“了解”。ここに“理解”を入れることはできない。文意からここで「わかっている」
のは、性格、趣味など互いの人間的特徴であって、心情や立場ではない。もしこの文を6)´
のように変えるなら“理解”を使うことができるが今度は逆に“了解”を用いることはできなくなる。
6)´他们在一起生活了五年,无论对什么事,他们都能互相( )。
Tāmen zài yìqǐ shēnghuóle wǔ nián,wúlùn duì shénme shì,tāmen dōu néng hùxiāng ( ).
彼らはともに暮らして五年経ち、どんなことでも互いにわかりあえる。
この文で「わかりあえる」のはさまざまな事態に対する互いの心情である。性格や特徴など
対象の表層的な情報面でないことは明らかである。
次に7)の正解は“理解”。ここに“了解”を入れることはできない。「私」が「理解できない」
のは「彼はなぜこういう将棋の指し方をするのか」ということである。この将棋を指す上での
「彼」の思考法そのものが理解できないのだ。「彼」の将棋の指し方について、「彼はこうい
う指し方をする」という情報を知らないわけではない。それは見てわかっている。“了解”はし
ている。その上で「なぜそういう指し方をするのか?」というより深い部分、より突っ込んだ部
分について“不能理解”(さっぱりわからない)と言っている。
まとめると“理解”はなぜそうなのかという理性的な思考を経て,その理由や内容,意義など
がわかる、理解するということ。“了解”は対象についての状況,事実,情報などを知ってい
ることで,対象が人であれば性格や趣味,生活態度など,その人の情報的、データ的なこ
とがらが分かるということである。
(執筆:芳沢ひろ子)
相原 茂: 東京教育大学修士課程修了。明治大学助教授、お茶の水女子大学教授を経て、
現在中国語教育の第一人者として活躍中。NHK中国語講座を長年担当。
中国語コミュニケーション能力検定(TECC)を実施している中国語コミュニュケーション協会代表。
『はじめての中国語』『 Why?にこたえるはじめての中国語の文法書 』『 中国語空耳ワールド 』等、著書多数。
●相原 茂ホームページ:

中国語コミュニケーション能力検定(TECC)
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●第50回
いずれも「わかる」という意味を持つ動詞だが、“了解”は「わかる」度合が浅く、その対象の
表層部分が「わかる」。表層部分について「知っている」ということ。一方“理解”は「わかる」
度合が深く、対象の表層より深いところが「わかる」。深い部分、本質的な部分を「理解し
ている」ということ。
1)我想了解(×理解)一下这个公司的情况。
Wǒ xiǎng liǎojiě(×lǐjiě) yíxià zhège gōngsī de qíngkuàng.
(この会社の状況について知りたい)
2)我能理解(×了解)她现在的心情。
Wǒ néng lǐjiě (×liǎojiě)tā xiànzài de xīnqíng.
(彼女の今の気持ちはよくわかる)
“了解”が「わかる」対象というのはたとえば1)であるならば、この会社の規模や経営状態
や経営者についてなど、いわば情報、すなわち相手の状況に関する知識である。これに
対して“理解”が「わかる」対象は、2)でいうなら彼女の心の中、心情、気持ちである。
彼女がどういう名前でどういう仕事をしていてどういう人間関係を持っているかなど情報面
ではない。
3)老师应该了解(○理解)学生的想法。
Lǎoshī yīnggāi liǎojiě (○lǐjiě)xuésheng de xiǎngfǎ.
(教師は学生の考え方を知っていなければならない)
ここは “了解” “理解”どちらも使えるがニュアンスが異なる。“了解”なら「学生の考え方と
は一般にどういうものなのか、学生はおおよそどんな考え方をするものなのかなどについて
知っている」という意味になり、“理解”なら「学生の考え方について,何故そういう考え方を
するか等,深くわかっている」という意味になる。ここでも“了解”は事の表層における情報面
について知っている、知識があるということであり、“理解”は対象の表面ではない、より深い
部分がわかるということである。
“理解”は対象の表層より深い部分、本質的なといってもよい部分が「わかる」ということな
ので、そこから「同情する」「共鳴する」という意味を持つこともある。③の文でも“理解”を
用いるならそうしたニュアンスを伴う。
4)我们都能理解(×了解)你的苦衷。
Wǒmen dōu néng lǐjiě(×liǎojiě) nǐ de kǔzhōng.
(あなたの辛さは私たち皆よくわかっています)
5)我完全能理解(×了解)当时你采取的行动。
Wǒ wánquán néng lǐjiě(×liǎojiě) dāngshí nǐ cǎiqǔ de xíngdòng.
(当時あなたが取った行動について私は本当によくわかります)
上記4)5)の例文には単なる「理解」を超えた同情や共鳴の響きがある。こうした文に“了解”
は使えない。
上記のような意味の違いから“了解”“理解”それぞれが「わかる」対象も異なってくる。“了解”
は性格、特徴、ニーズ、状況、プロセス、原因、病状、国情、歴史、真相など、事の情報に
関わることに用いられる。“理解”は道理や概念など抽象的なことがらや心情、要求、意志、
立場など人の精神や境遇などに用いられる。
また“了解”は“经常~”“普遍~”“~清楚”“~一下”などとともに使うことができるが、これら
は“理解”と使われることはない。
“理解”は“深刻~”“正确~”“~不了”“~错了”などとともに使うことができるが、これらは
“了解”と使われることはない。
では以下の問題をやってみよう。空欄に入るのは“理解”か“了解”か?或いは両方入れるこ
とができるだろうか?
6)他们在一起生活了五年,彼此之间非常( )。
Tāmen zài yīqǐ shēnghuóle wǔ nián,bǐcǐ zhījiān fēicháng ( ).
彼らはともに暮らして五年経ち、お互い相手がよくわかっている。
7)这步棋他为什么这么走,别人说好,可我不能 ( )。
Zhè bù qí tā wèishénme zhème zǒu,biérén shuō hǎo,kě wǒ bù néng ( )
この一手を彼はなんでこう指すのか、好いと言う人もいるが私には理解できない。
(答え)
6)の正解は“了解”。ここに“理解”を入れることはできない。文意からここで「わかっている」
のは、性格、趣味など互いの人間的特徴であって、心情や立場ではない。もしこの文を6)´
のように変えるなら“理解”を使うことができるが今度は逆に“了解”を用いることはできなくなる。
6)´他们在一起生活了五年,无论对什么事,他们都能互相( )。
Tāmen zài yìqǐ shēnghuóle wǔ nián,wúlùn duì shénme shì,tāmen dōu néng hùxiāng ( ).
彼らはともに暮らして五年経ち、どんなことでも互いにわかりあえる。
この文で「わかりあえる」のはさまざまな事態に対する互いの心情である。性格や特徴など
対象の表層的な情報面でないことは明らかである。
次に7)の正解は“理解”。ここに“了解”を入れることはできない。「私」が「理解できない」
のは「彼はなぜこういう将棋の指し方をするのか」ということである。この将棋を指す上での
「彼」の思考法そのものが理解できないのだ。「彼」の将棋の指し方について、「彼はこうい
う指し方をする」という情報を知らないわけではない。それは見てわかっている。“了解”はし
ている。その上で「なぜそういう指し方をするのか?」というより深い部分、より突っ込んだ部
分について“不能理解”(さっぱりわからない)と言っている。
まとめると“理解”はなぜそうなのかという理性的な思考を経て,その理由や内容,意義など
がわかる、理解するということ。“了解”は対象についての状況,事実,情報などを知ってい
ることで,対象が人であれば性格や趣味,生活態度など,その人の情報的、データ的なこ
とがらが分かるということである。
(執筆:芳沢ひろ子)
相原 茂: 東京教育大学修士課程修了。明治大学助教授、お茶の水女子大学教授を経て、
現在中国語教育の第一人者として活躍中。NHK中国語講座を長年担当。
中国語コミュニケーション能力検定(TECC)を実施している中国語コミュニュケーション協会代表。
『はじめての中国語』『 Why?にこたえるはじめての中国語の文法書 』『 中国語空耳ワールド 』等、著書多数。
●相原 茂ホームページ:
中国語コミュニケーション能力検定(TECC)








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